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ヒルスコーヒーの歴史

1878年のバレンタイン。ひとつのアメリカンテイストが生まれた。

オースティン・ハーバート・ヒルスとルーベン・ウィルマース・ヒルス兄弟1878年2月14日、オースティン・ハーバート・ヒルスと、ルーベン・ウィルマース・ヒルスの兄弟が、サンフランシスコではじめたコーヒー豆の小売店。これがヒルスコーヒーのはじまりです。以来、ヒルスはアメリカンコーヒーの代名詞となっています。

ヒルス家の人々は1873年頃に、造船技師長の父親とともにマサチューセッツ、メイン州を経て、サンフランシスコにやってきました。ヒルス家は元来、イギリスの出身。厳格な気質を受け継ぐ彼らは、この地からコーヒーのエキスパートへの第一歩を踏み出しました。
サンフランシスコ、マーケット通り1146番地のヒルスの店は、コーヒーだけでなく、紅茶やスパイス、バター、卵なども扱っていました。荷馬車で戸口から戸口へ配達する、きわめて家族的で小規模な小売店だったのです。

世界で初めてカップテスト法を確立

19世紀当時は“形のよい豆だけがすぐれた味をもつ”と考えられていた時代でした。 しかし、見栄えのよくない豆にもすばらしい風味があることをヒルス兄弟は発見し、1886年には世界初の試みとなるカップテスト法を確立しました。この方法は、コーヒーの上澄みをスプーンなどで試飲し、熱い時に香りや渋みを、冷めた時にクセやイヤ味を検査します。
これによって、豆の形に頼ることなく、豆そのものの品質を見極めることが可能になりました。

カップテスト

トレードマークはアラビア人。ここにも100年の歴史

トレードマークはアラビア人

ルスコーヒーのトレードマークが生まれたのは1897年頃のことです。

ターバンをし、ひげを生やしたアラビア風の老人が、カップをかざしてすすっている、おなじみのイラストレーション————「アラビアコーヒー」の看板にぴったりのこの絵は、サンフランシスコの若手アーティスト、ブリッグスが描いたものです。

このアラビア人はコーヒーテイスター(鑑定士)を表し、厳格なカップテストを繰り返す中から、コク、舌触り、酸味など、バランスのとれたブレンドを生み出す、ヒルスコーヒーの真摯な企業姿勢を表現しています。



世界初の真空缶詰コーヒー

しい世紀を迎え、アメリカは近代化への道を歩みはじめました。日々増えていった豆の配送も、これまでのように毎日炒って、すばやく届けるだけでは限界があります。炒りたての豆のデリケートな風味を変化させることなく配送するには……と模索した結果、ヒルスコーヒーでは真空包装法に着目しました。コーヒーの味と香りを損なう最大の原因、酸素の混入を防ぐ、画期的な方法です。

こうして、1900年7月、世界で初めての真空缶詰コーヒーが誕生しました。当時の真空缶詰コーヒーは先細りの円筒型で、開缶後も空気の混入を少なくするよう設計しています。他のコーヒー会社が真空包装を採用するのは、これから13年も経ってからのこと。過去の『ブリタニカ国際大百科事典』には「真空包装法は1900年、アメリカのカリフォルニア州サンフランシスコの一商社が使いはじめたもので、長期間コーヒーの品質を変えない効果がある」と記載されています。この「サンフランシスコの一商社」がヒルスコーヒーなのです。

真空包装法の開発・採用で、ヒルスコーヒーの配送網はいちじるしく拡大しました。西海岸一帯だけでなく、ハワイやアラスカなどへも出荷され、多くのコーヒー愛飲家に親しまれるようになりました。“コーヒーはヒルスで創られた”と言われるのも、こうした技術的裏づけがあってのことなのです。

ヒルス真空缶詰コーヒーの変遷

焙煎技術を革新

1920年代に入って、ヒルスコーヒーはコーヒー業界のリーダーとしての地位を確立し、コーヒー専業メーカーとして歩みはじめました。そして1923年、さらなる革新を目指し、焙煎コントローラを開発しました。これによって、焙煎の速度と温度を正確に制御することが可能になり、少量ずつの生豆を一定水準で継続して焙煎する工程が実現しました。

カップテスト法の確立にはじまり、真空缶詰コーヒーの開発、焙煎技術の革新……。ヒルスコーヒーの伝統と技術は現在の製品にも受け継がれています。

ヒルスコーヒー看板

日本市場への進出

本では、1979年に日本ヒルスコーヒー株式会社を設立し、日本市場においても様々なコンセプトや包装形態、規格のヒルスコーヒーブランド製品を展開しています。

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